1975-05-23 第75回国会 衆議院 文教委員会文化財保護に関する小委員会 第5号
この中には多くの誤解もあろうかと思いますが、私がここで想起いたしますのは、あの古都保存法が決まりましたときに、あれにはもちろん古都が非常に開発にさらされているという事態の中で出た前向きの意義もありますが、一部にはあれは古都破壊法になってしまったのではないか、こういう御批判も現に出ておりますし、私は特に近くの鎌倉等に何度も行って見てまいりまして、あの古都保存法施行以降にその法律の制限がはずれたところは
この中には多くの誤解もあろうかと思いますが、私がここで想起いたしますのは、あの古都保存法が決まりましたときに、あれにはもちろん古都が非常に開発にさらされているという事態の中で出た前向きの意義もありますが、一部にはあれは古都破壊法になってしまったのではないか、こういう御批判も現に出ておりますし、私は特に近くの鎌倉等に何度も行って見てまいりまして、あの古都保存法施行以降にその法律の制限がはずれたところは
これは古都保存法でなくて、古都破壊法といっても言い過ぎではないのではないかとすら、私どもしろうと考えには思われるほどでございます。佐藤総理大臣は週末には鎌倉においでになるそうでありますが、一ぺん建設大臣はぜひ総理を案内されて、鎌倉をずっと一巡なさってみたらどうかと思うのです。これはぜひやっていただきたい。
あと実は難波宮の問題、あるいは尼崎の田能遺跡の問題、それから特に私はきょうは時間があればゆっくり究明する必要があると思いますのは、古都保存法ができまして、奈良、京都、鎌倉、その他幾つか指定された都市が保存されるということになりましたが、これが建設省のほうの管轄に移っておると申しますか、それで実は文化財保護委員会の手が逆に行政的に遠くなったのではないか、そのために古都保存法が古都破壊法といわれてもしかたがないのではないかというような